おなべの彼氏を持つsachiです😁😁
私は30年以上生きてきて、友達や周りにLGBTと呼ばれる人は居ませんでした。
「居ませんでした」と書きましたが、今思うと「居たけど気づいていなかった」だけかもしれません。
そんな私が30歳を過ぎて、まさかおなべと付き合う事になろうとは思ってもいなかったのですが「おなべ」という存在に対して色々と興味が湧いたのでチミィに、まずは幼少期はどんな気持ちだったのか聞いてみました。
おなべ(FTM)の幼少期
男になりたいと思ったわけじゃない、小さい頃は、男だと思い込んでいた。
子供の頃ってそれこそ性別ってそれほど考えてなかったように思える。
私なんかは、自分を男だと思い込んでるもんだから、もっぱら3つ下の弟を引き連れて男の子と同じ遊びばかりしていた。
外では、高いところに登ってジャーンプ!は当たり前いつも泥だらけで家に帰ってた。
立ちションも試したことだってあった。私は、下手くそだとおもっていた。
弟には、笑われてた記憶がある。
サンタクロースには、男のアレがほしいと願ったこともあったらしい。
笑ってくれる弟がなんだか微笑ましいわぁー。
サンタクロースのプレゼントは斬新で笑った!!!
一般人には無い発想で、目からウロコって感じです!!
女の子として扱われている事に気づき始める
幼稚園の頃、母に伸ばされた髪を毎朝結ぶのが嫌で切って以来ずっと、短髪で
幸い?にも見た目は、男の子だった。
どこへ行っても知らない人には、「ボク」と声をかけられて
それが嬉しかった。
母は、私が生まれた頃から女の子なんだからってことでフリフリのワンピースに可愛いヘアゴムで髪を結んで歩かせたかったらしい。
毎日のように弟と一緒に泥だらけで帰ってくる私をみて無理だと諦めたらしいw
ある日母の妹に可愛がられてた私は、母の妹夫婦の家に1人で2泊のお泊りに行くことになった。
まだ子供のいない夫婦だったってこともあり色々なところへも連れて行ってくれた。
その時キュロット?なるものを買ってくれて着せられた。幼稚園の制服のスカート以来の女の子ちっくなものだった。
フリフリなスカートじゃないだけマシだったが母の妹が嬉しそうにしているのをみて子供ながらに気を使って嫌だといえなかった。
子供って思ってる以上に大人の空気読むよね・・・。
脱がしてもらえるように汚れるように外で遊んだ。パンツが見えるなんて気にもしていなかった
母の妹に注意されながらも泥だらけにした。
やっと脱がせてもらい明日は帰る日だったので早寝した。
脱ぎたいから汚すって、なんかその抵抗が切ないなぁー。
そして朝が来てパジャマのまま朝食をとっていたら
「乾いて良かったー」
母の妹がキュロットを渡してくれた
ガーーーーン
って感じだった。
着せられ実家へ帰った。
実家に着くなりすぐに脱ぎ捨てた。
母は、似合ってたのにぃと残念そうだったが なんかタグのところがチクチクするから嫌だと適当なことを言って母には、嫌だと伝えた。
ホントのことがうまく言えない子供の頃って、なんだかモドカシイよね。
ホントの事っていうか、自分でもよくわかってないからどう表現して良いのかわからなかったんだと思う。
その後、洗濯されたキュロットを見つけた時、すぐにタンスの奥の奥の方へしまい込んだ記憶がある。
好きになる人は・・・
好きになるのは、女性ばかり
やっぱりおかしいのかなって思い始めたのは、小学校の高学年。
自分は、女なんだもんな。。
誰にも言えなかった。
小さい時から苦労があるねぇ
私(sachi)は、ココロもカラダも女性に生まれたので、この幼い頃の体験を聞いて
「幼い頃から独特の苦労してるんだなぁー・・・。」と思いました。
やっぱり、世の中は目に見える物が全てという考えが主流だから「男」「女」以外の性別って認められていないというか、そういうのがあるって広まったのもここ最近の事なんだよね。
LGBTの当事者も、そういう世間の枠を正しいと思って生きてしまうと、どちらでもない自分は「おかしい」と思って悩む人が多いんだと思いました。
「男か女か」の枠にハマろうとするとそりゃ辛くなりますよね・・・。
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